サボテンの花が咲いているの意味【Zガンダム】

Zガンダムには「強くてカッコいい女性」がたくさん登場しますよね。エマ・シーン、マウアー・ファラオ、ライラ・ミラ・ライラ……

強さと同時に人間臭い弱さを魅せたレコア・ロンドも外せません。彼女にまつわるエピソードで、クワトロ大尉=シャアのセリフ「サボテンの花をつけている」もまた印象的。

初めて見た当時は耳に残るセリフでありながら、全く意味がわからない言葉でしたが……

サボテンの花が示唆するもの

修正されて言うことかーっ!

結論、「サボテンが花がつけている」のはティターンズに寝返ったレコアが女をやり始めたことのメタファーです。

レコアの戦死認定に半ば八つ当たりでクワトロ大尉を殴るカミーユ。

クワトロ当人は「サボテンが花をつけている」とちょっとよくわからないことを言う。「殴られて言うことかーっ!」ってまた殴られなかったの奇跡だろこれ。

その頃、レコアは生きてティターンズに寝返り、シロッコに女として扱われていました。

なお、このシーンのセリフを「サボテンの花が咲いている」と憶えている方が多いですが、実際には「サボテンの花がついている」と言っています。

ガンダムってこういう微妙に聞き間違いというか記憶違いが結構ありますよね。「足なんて飾りです」とか。

レコアの「女性」を無視したエゥーゴ

レコアはエゥーゴでパイロットだけでなく、スパイの役割もこなしています。

ジャブロー潜入の際は捕まってしまい、女性であることが災いし辱めも受けました(小説版では拷問にかけられたことも示唆されている)。

レコアはうら若い少女時代から戦争に参加しており、これまでも似たような任務をこなし、ときには辱めを受けるようなこともあったのでしょう。

それこそ「道具のように扱って」こられたなわけです。それが軍人、スパイといえばそこまででしょう。しかし気分のいいものであるはずがありません。

それでもアーガマへ帰還したあとのレコアはまた単身ジュピトリスへ潜入するなど、平然と危険な任務に飛び込んでいます。カミーユやクワトロと比べパイロットとしては一枚落ちるにしても、非常にタフです。

シロッコと出会い、女をやり始めるレコア

しかしその実、レコアは女性としての充足感に飢え、道具として扱われることに嫌気がさしてもいました。

クワトロ大尉との男女の関係は半ば公然の事実ですが、レコアは都合のいい女止まり。クワトロ大尉が家庭を持つことに興味があったとは思えないし、関係は行き詰まっていたはず。

レコアはエゥーゴにもクワトロにも「都合のいい道具として扱われていた」のです。

その点、真意はどうあれレコアを抱擁で迎え、「私の言葉がウソだと思うならいつでも背後から撃つといい」と言い放つシロッコ。レコアはようやく、女としての充足感を覚えることができたのです。

相容れないエマ・シーンとの対比

レコア・ロンドを際立たせているのが、同じく裏切り者であるエマ・シーンとの対比

エゥーゴを裏切ってティターンズへ寝返ったレコア・ロンド。

ティターンズを裏切ってエゥーゴへ寝返ったエマ・シーン。裏切り者という意味で共通しながも、両者は両極にいます。

レコアはスペースノイドのために戦う大義を捨て、シロッコのもとで「女としての充足感」を見つけます。一方でエマ・シーンは「正義と大義」のためにエゥーゴに寝返りました。軍人であることに徹し、むしろ女性扱いされることを避けている節すらあります。ヘンケン艦長もかわいそうに。

終盤にはそんなレコア・ロンドとエマ・シーンが一対一で死闘を繰り広げる展開もまた熱いですね。

ちなみに、エマさんがレコアが生きていてティターンズに寝返ったことを知った際、TVアニメ版では「殺してしまえばよかったのよ!」と唾棄しています。これはエマさんの軍人として潔癖な性格から、志や思想ではなく個人的な理由で寝返ったレコアを許せなかったのでしょう。

一方、のちに製作された劇場版3部作 新訳Zガンダムでは「女をやっているだけなのよ……」とトーンダウン。むしろフォロー。

エマ自身ができない「女であること」をやり始めたレコアを責めきれなかったように思えます。

エマ自身、ヘンケンによって女性として見られていたことが本当はまんざらでもなかったと死の間際に悟っており、どちらかといえば後者の方がより素直なエマの気持ちだったようにも思えます。

まとめ:大人になったなぁ

  • 「サボテンが花をつけている」はレコア・ロンドが女性性に目覚めたことのメタファー

私がはじめてZガンダムを観たのは10代の頃で、やれレコアだのやれエマだのは本当にどうでもよかったんですよね。「サボテンが花をつけている」ってセリフも印象的ではあったけど、意味は全くわからなかった。

しかし気づけば私ももうクワトロ大尉よりも年上。大人のキャラクター側に立ったものの見方をする年齢になってしまった。悲しみ。

これが刻の涙をみるってことか。違うけど。